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COLUMN 学習コンテンツ
前回の記事では、成功の尺度を「客観的成功」から「心理的成功」へと転換することの意味を探りました。心理的成功を追求するためには、「自分なりの成功」を定義する必要があります。そしてそのためには、より根源的な問いに向き合わなければなりません。
「自分は何者か」——この問いです。
ダグラス・T・ホールは、プロティアン・キャリアを支える2つのメタ能力(高次の能力)として、「アイデンティティ」と「アダプタビリティ」を挙げました。今回は、その一方の柱である「アイデンティティ」について深く掘り下げていきます。
目次
アイデンティティとは何か
定義と位置づけ
キャリア論におけるアイデンティティとは、単なる「自己紹介」ではありません。それは、「自分は何者であり、何を大切にし、何に価値を見出すのか」という自己認識です。
ホールの理論において、アイデンティティは日々の意思決定の「指針」として機能します。転職すべきか、この仕事を引き受けるべきか、どのスキルを磨くべきか——こうした判断の際に、立ち返るべき「軸」となるのがアイデンティティです。
変化の激しい現代において、アイデンティティはまた「拠り所(アンカー)」としても機能します。外部環境がどれほど変化しても、自分自身の核となる部分を見失わないための支えです。
エドガー・シャインの「キャリアアンカー」
アイデンティティを理解する上で有用な概念が、MITのエドガー・シャインが提唱した「キャリアアンカー」です。
キャリアアンカーとは、キャリア形成・選択の際に「絶対に譲れない」価値観、欲求、能力を指します。船のアンカー(錨)が船を固定するように、キャリアアンカーは個人のキャリアを方向づけ、安定させます。
シャインは、長年の研究から8つのキャリアアンカーを特定しました。

1. 専門・職能別コンピタンス
特定分野の専門性を追求することに価値を見出す。「この分野なら誰にも負けない」という専門家志向。
2. 全般管理コンピタンス
組織を管理・経営することに喜びを見出す。リーダーシップを発揮し、組織を率いることへの志向。
3. 自律・独立
自分のやり方で仕事を進めることを重視する。組織のルールに縛られることを嫌い、自由を求める。
4. 保障・安定
安定した雇用と生活を最優先する。リスクを回避し、予測可能な環境を好む。
5. 起業家的創造性
新しいものを生み出すことに情熱を燃やす。事業の立ち上げやイノベーションへの志向。
6. 奉仕・社会貢献
社会や人のために働くことに意味を見出す。仕事を通じて世界をより良くしたいという志向。
7. 純粋な挑戦
困難な課題に挑戦すること自体に喜びを見出す。競争や問題解決へのモチベーション。
8. ライフスタイル
仕事と私生活のバランスを最重視する。キャリアは人生の一部であり、人生全体の質を優先する。
自分のアイデンティティを知る方法
キャリアアンカー診断
自分のアイデンティティを知る第一歩として、キャリアアンカー診断が有効です。
シャインは「自己診断キャリア志向質問票」を開発しており、40問の質問に答えることで、自分のキャリアアンカーを特定できます。現在はオンラインで無料診断ツールも提供されています。
おすすめ診断ツール:
- オンライン診断:https://career-anchors.rere.page/
- 厚生労働省マイジョブ・カード:https://www.job-card.mhlw.go.jp/shindan
厚生労働省の「マイジョブ・カード」には、ホランドのRIASECモデルに基づく「興味診断」と「価値観診断」が含まれており、アイデンティティ探求の実践的なツールとして推奨できます※1。
過去の経験を振り返る
診断ツールに加えて、自分の過去の経験を振り返ることも重要です。以下のような問いを自分に投げかけてみましょう。
- 最も充実感を感じた仕事は何だったか? それはなぜ充実していたのか。
- 最も苦痛を感じた仕事は何だったか? 何がそれを苦痛にしていたのか。
- 断れなかった仕事と、断った仕事の違いは何か?
- お金をもらえなくてもやりたいことは何か?
- 尊敬する人は誰か? その人の何を尊敬しているのか。
これらの問いに対する答えの中に、自分のアイデンティティの断片が見えてきます。
他者からのフィードバック
自己認識には「盲点」があります。自分では気づかない強みや特性を、他者は見抜いていることがあります。
信頼できる同僚、上司、友人に「私の強みは何だと思いますか?」「私が最も輝いている瞬間はいつですか?」と尋ねてみることで、自己認識を補完・修正できます。

アイデンティティの機能
意思決定の羅針盤
アイデンティティが明確になると、キャリアにおける意思決定が格段に容易になります。
たとえば、年収アップの転職オファーを受けたとします。アイデンティティが不明確な状態では、「年収が上がるから」という表面的な理由で判断してしまいがちです。しかし、自分のキャリアアンカーが「自律・独立」であることを知っていれば、「その転職先で自律性は確保できるか」という本質的な問いを立てられます。
アイデンティティは、選択肢を評価するための「尺度」を提供します。その尺度に照らして、ある選択が自分にとって良いのか悪いのかを判断できるようになります。
変化への免疫力
変化の激しい時代において、アイデンティティは「変わらない軸」として機能します。
外部環境は常に変化します。業界の構造が変わり、必要とされるスキルが変わり、所属する組織が変わることもあります。しかし、アイデンティティという軸を持っていれば、変化の中でも自己を見失いません。
「専門性を追求する」というアイデンティティを持つ人は、たとえ業界が変わっても、新しい領域で専門性を追求するでしょう。「社会貢献」をアンカーとする人は、手段が変わっても、社会に価値を届けるという方向性は変わりません。
他者との差別化
ビジネスにおけるポジショニングと同様に、キャリアにおいてもアイデンティティは差別化の源泉となります。
同じスキルを持つ人が複数いたとき、選ばれるのは「何のためにそのスキルを使うのか」が明確な人です。アイデンティティに基づいた一貫したメッセージは、他者の記憶に残り、機会を引き寄せます。

アイデンティティの発達プロセス
探求と確立
アイデンティティは、一朝一夕に確立されるものではありません。探求と試行錯誤のプロセスを経て、徐々に明確になっていきます。
心理学者のエリクソンは、アイデンティティの確立を青年期の主要な発達課題として位置づけました。しかし、キャリアにおけるアイデンティティは、成人後も継続的に発達し、精緻化されていきます。
20代は「探求」の時期です。様々な経験を通じて、自分が何に価値を見出すのかを試行錯誤します。30代で徐々に「確立」に向かい、40代以降は確立されたアイデンティティを深め、拡張していきます。
危機と再構築
アイデンティティは固定的なものではなく、人生の節目で再構築されることがあります。
降格、解雇、病気、家族の変化——こうした「危機」は、確立されたアイデンティティを揺るがします。しかし同時に、それまで当然視していた自己認識を問い直し、より深いアイデンティティを発見する機会でもあります。
先に紹介した54歳で複業に転じた実践者のケースは、この再構築の好例です。「会社人間」としてのアイデンティティが危機によって崩壊し、「複業を社会に広げる人」という新たなアイデンティティが構築されました。
まとめ
今回は、プロティアン・キャリアを支える2つのメタ能力の一つである「アイデンティティ」について掘り下げました。アイデンティティとは、「自分は何者であり、何を大切にし、何に価値を見出すのか」という自己認識です。これは単なる自己紹介ではなく、日々の意思決定の「指針」として機能する重要な概念です。
アイデンティティを理解する上で有用なのが、エドガー・シャインのキャリアアンカー理論です。キャリアアンカーとは、キャリア選択で「絶対に譲れない」価値観、欲求、能力を指し、シャインはこれを8つのカテゴリー(専門・職能、全般管理、自律・独立、保障・安定、起業家的創造性、奉仕・社会貢献、純粋な挑戦、ライフスタイル)に分類しました。
自分のアイデンティティを知る方法として、診断ツールの活用、過去の経験の振り返り、他者からのフィードバックという3つのアプローチがあります。特に厚生労働省の「マイジョブ・カード」などのツールは実践的に活用できます。
アイデンティティは、意思決定の羅針盤として選択肢を評価する尺度を提供し、変化への免疫力として環境変化の中でも自己を見失わない拠り所となり、他者との差別化の源泉として一貫したメッセージを生み出します。
最後に理解すべきは、アイデンティティが固定的なものではないということです。探求と確立、危機と再構築のプロセスを経て、生涯にわたって発達していきます。54歳で複業に転じた実践者のように、人生の節目で再構築されるアイデンティティは、より深い自己認識への道を開きます。

出典
※1 厚生労働省「マイジョブ・カード 自己診断一覧」
https://www.job-card.mhlw.go.jp/shindan